特に悪い事はしていないので、死後の世界は怖くないという楽観論
霊魂やあの世を信じる人でも、自分の死後の行き先については、楽観的に考えている方が多いようです。
「特に悪い事をしていないのだから、低い世界に落ちるはずはない。」という漠然とした自信があるようです。
でも、「特に悪い事をしていなければ、下には行かない。」というのは、そもそも誰が決めたのでしょうか?
毎日たくさんの人が亡くなっていますが、その一人一人について、誰がどういう基準で、「悪い事をしたか」を判断するのでしょうか?
例えば、昔、戦争でたくさん敵を殺した英雄は、どのように裁定されたのでしょうか?
人を1人殺したけれど、10人の命を助けたという場合はどうなるのでしょうか?
10回の善い事をしたものとして、1回の悪い事は帳消しにされるのでしょうか?
「悪い事」が犯罪を指す場合、宗教や国によっても違ってきます。
同じ一神教であっても、一夫多妻が許される国と「犯罪」とする国がありますが、あの世ではどちらが正しいと判断されるのでしょうか?
考えれば考えるほど、疑問が出てきます。
そうすると、悪い事をしたかどうかであの世の行き先が決まる、という考え方自体が、おかしいという事にならないでしょうか?
ところが、こうした疑問を投げかける人は、あまり多くないようです。
「どんな難しい判断でも、神様ならパーフェクトに行ってくれるはずだ。」と、神様任せで終わってしまい、それ以上の事は考えていないようです。
でも、そういう人が下の世界に行った場合、「何故、自分がこんな世界に入ってるのだ!? 神様はひどい!」と、神様を恨みそうです。
判断基準を全て神様任せにして、自分は思考停止状態であったにも拘わらず、神様の判断はおかしいと言うわけですから、実に勝手な話です。
あの世は、最初に下層幽界の下の方に行ってしまうと、上に上って行く事は相当難しいようです。
生きている時に楽観論に終始せず、真実を学んで、下層幽界に行かないように対処しておきたいものです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。