死んだら終わり?ほんとに終わりなの?
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ねぇ死んだらどうなるの?
小さい頃、父親に尋ねたことがあります。
なぜそういう疑問を持ったのかは覚えていませんが、父は迷いもせずに、こう答えました、
「夜になって寝るでしょ、あれと同じ」と。
「ふ~~ん・・・」
それで会話は終わりでした。
父にとって「死」は、「ゲームオーバー」だったのかもしれません。
その父が、まだ40代で重い病気にかかり入院していた時、
ベッド際で、お手伝いをしていた私に、ぽつりと言いました、
「死んだら、楽になるのかな、病気とかなくて・・」
霊魂学に出会う前のことで、私はどう答えていいのかわからず、ただ、死ぬことを考えてほしくなくて、
「そんなの一緒なんじゃない?」みたいなことを言ったんですね。
それが父と私の最後の会話で、その後間もなく父は他界しました。
それ以来私は、何度となく、ちゃんと答えることができなかったことを後悔しました。
死が近づいたことを感じていた父は、知りたかったのでしょう。
死んだらどうなるのか、本当にそれで終わりなのかを。
宗教を持つ人ではなかったので、神や仏にすがるという発想は無かったのだと推測します。
死んだら終わりとちゃうよ!絶対に終わりじゃない!
無責任と言われようが、非科学的と言われようが、どうでもいい。
今の私は、「人は死んだら終わりなんかじゃない」と、あらゆる生命体の前で断言します。
自分で見たわけでもなく、証拠を見つけたわけでもなく、何の根拠もない、と言われれば仕方ありませんが、
「死んだら終わり」だと確信している人と同じ、いえそれ以上の確信を持って、「終わりではない」と断言します。
そして、それを命の基盤として、人生を考えます。
でも信じるという気持ちは無理やり持てるものでもない
そのとおりです。
脅迫とか催眠術とか洗脳とか、自分の意思とは別の言動を起こさせることって可能なのかもしれませんが、
本来、「信じる気持ち」を強要することはできません。
でも、疑問を持ち、考えて、調べて、しっくりきて、信じる気持ちを育てることはできます。
だから、疑問を持つことって最初の一歩なのだと思うのです。
死んだら人は終わりなの?
無になるの?
そして、疑問を持ったら、行動するのです、少しずつでも。
もし、人が死んだ時、消滅するのではなくて、何かが起こるのなら、
そしてそれが、いいことばかりではないという可能性があるのなら、
そんな大切なこと、見過ごしちゃっていいのでしょうか?
霊魂学、そして霊的トレーニングは、疑問から、単に「信じる」だけでなく、「一歩踏み出す」道を照らしてくれるでしょう。
信じるということについて、契山館広報部が公開しているビデオを、ぜひご覧ください。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。