信じる世界はグラデーション・心理テストからの~
これは、自分の生活や将来に大きなインパクトを与えるかもしれない「情報」を信じるか信じないかというお話です。
わかりやすいように、極端な状況を想定して考えてみましょう。
- 隣の街で暴動が起こっていて、こっちにも向かってるみたい、逃げたほうがいい?
- 巨大なサイバーアタックで銀行預金が盗まれる可能性があるって。現金引き出しておいたほうがいい?
- 宇宙人が飛来予告してきたって、政府は隠しているけど、友好的かどうかわからないから隠れたほうがいい?
笑わずに考えてみてください。これらの情報が真実なら、言われたように行動するか、自分なりの判断をするか、いずれにしても、まずは信じるか信じないか、決断しなければならない状況です。
そんな時、自分ならどういう行動に出るだろうか。どういう思考プロセスで、どのように判断を重ねていくのだろうか。
まじめに考えてみると、面白い発見があると思います。
おそらく多くの人は、まずその情報が本当かどうかを調べるでしょう。回りの人に聞く、ネットで調べる、役所などに問い合わせる。
そうですね、どこにいてもスマホを開けば、最新情報が手に入ります。それが信頼できるかどうかは別として・・・
情報を得たら、それなりに事態を把握して、自分にどれほどの影響があるのかを考えて、行動するかどうかを判断します。
- 暴動ならニュースになるから、確認してからどうするか決めよう、指示が出るだろうし・・・
- 銀行に預金はないから、別にいいかな何もしなくても・・・
- 宇宙人はさすがにデマだろう、あり得ないな・・・
「信じる」っていう行為は、信じるか信じないかの二者択一ではないんですね。白黒はっきりしているわけではなく、そんな単純なものでもないのです。
そこには、事の深刻さを見極めるプロセスがあります。有害か、無害か、利益か、損益か、安心か、不安か、苦痛か、不便か、といった自分や大切な人たちに与える影響の深刻さです。
影響が深刻であればあるほど、早急な決断を迫られ、そうでなければ、そのうち考えよう、ということになります。信じているのかいないのかは、実際の行動によって裏付けされるということで、行動が伴わないのは、自分には無関係だと思っているか、口でどう言おうが信じていないということ、とも言えるんですね。
霊魂学のメッセージならどうでしょう:
- 人間は霊的生命体である。
- 他界後も同じ意識と記憶を持って違う次元で生き続ける生命体である。
- 他界後は肉体はなくなるけれども、実はずっと持っていた幽体という身体で生きていく生命体である
- 幽体が不健康だと、不健康(有害・苦痛・困難)な質の世界で生きていくことになる生命体である。
- 健全な幽体を持って他界できるように、(霊魂学が奨励する霊的トレーニングで)今、生きている間に幽体を鍛えておくという選択肢がある生命体である。
「信じる」難易度は、上から下に向かって高くなります。おそらく、1~3は、「そうだといいな~」レベルで信じることができて、4になるとちょっと警戒心・懐疑心が沸いてきて、5になると、「宇宙人飛来予告」レベルになるかもしれません。
信じるって、簡単なことではないんですね。
そこで、ひとつ提案です。
信じるという行為は、小さな行為の積み重ねで培われていくものです。
「絶対信じない、信じたくない」というのなら、わざわざその気持ちに反して信じようとしなくてもいいと思いますが、少しでも信じたい、信じられるかも、信じたほうがいいのかも、信じてみようかな、と感じているとしたら、ぜひ、小さな行為を積み重ねてみてください。
まず、
- 一般公開されている霊魂学のYoutube動画を観てみる
- 霊魂学関連のHPやブログを覗いて興味のある記事を読んでみる
- もっと知りたいことについて書かれている霊魂学書籍を読んでみる
- 質問があれば、「お問い合わせ」してみる(契山館は驚くほど無理強いしないのでご心配なく)
以上は、当サイト内でも紹介しています。
直感や第一印象に頼るのもありかもしれませんが、霊的なことに関しては、それだけではリスクがあります。自分の目と耳でしっかり確かめながら、信じるレベルを高めていくのです。
霊魂学動画Q&A「信じる心は霊的に素晴らしい心理ですか?残念ながら違います」:信じるという心理について更に深く知ることができる動画です。
他の団体のことは言えませんが、契山館という団体に限っては、あなたの意志に反して誘ったり何か言ってきたりすることはありませんので、本当に心配のない団体です。(ただし真面目でないと判断された場合はそれなりに対処することもあります)
今、あなたの目の前で、扉は開いています。
今、あなたの目の前で、扉は開いています。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。