習慣、そして何が正しいのかを判断する事が難しい理由(を考えてみた)
習慣というのは、正しいと判断したことを、あまり考えることなく繰り返し行えるようにと決めごとにした行動。- by さんば
人生は選択の連続だとよく言われます。
毎日毎分、選択を続けているのだけれど、ひとつひとつにじっくり時間を使う余裕や気力はないので、
これは正しいだろうと受け入れたことは習慣として登録しておくほうが、より重要なことに時間を使うことができるともいえます。
習慣になったものが、小さい頃から教えられて定着している場合、自分で考える年齢になると疑問に感じたり反抗したりすることがあります。
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」「これって意味ある?」「間違っているんじゃないの?」
そうやって、自分で考えて、習慣を作り直していくことも大切だと思います。みんな自由に考える心を持っているからです。
ところが、みんながそれぞれに考えることができるから、争いや奪い合いや憎み合いが起こるともいえます。
地上に生きる人間すべてにとって、これが絶対に正しいといえるルールを作るのは不可能です。
自分が一生懸命考えて下した決断に対しても、必ず反対者がいて、ちゃんとした理由もあったりするのです。
むりやり従わせようと権力や圧力を使っても、いつかは覆されます。
社会の秩序を守るため、せいいっぱいの正しさを、法律と名付けて従ってもらうしかないのかもしれません。
自分や家族の身の安全、暮らしやすさといったことを考えて、できる限りその時の法律を守り、尚且つ自分で考えることも諦めない、動き続ける標的を追うかのような日々とも言えますね。
一方、霊的な世界に関してはまったく違います。
霊的な正しさは、時代や権力者の都合で変わるといった曖昧なものではなくて、確固とした法則に従って、結果が出るのだと思っています。
霊的法則は、少なくとも地上の法則やルールに左右されるものでないことは確かです。
それは、人が判断する正誤や善悪とは別の次元のものだからです。
あまりにも違いすぎるので、頭で考えようとすると、全てがケースバイケースと思えるほどです。
では霊的に正しいって何?と尋ねられたら、私は「霊的に成長すること」だと答えます。
どういう過程を経たとしても、霊的に成長すればそれが霊的身体・幽体オーラの強さや大きさとなって現れます。
いちばん大切なことは、霊的成長を目指して生きること。そしてそれが毎日の生活の中で習慣になればいいなと思います。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。