死んでも終わりじゃないと言い続けてきたけれど
契山館が公開しているHPのひとつ、「霊魂学最前線」は、地上の師、霊媒師である水波一郎師と高級霊魂団との通信からなるサイトです。
その中の、「水波霊魂学Q&A」 29番目の「結局死ぬ」という記事を読んで気づきました。
今まで、人間は死んでも終わりではない、霊的身体をもって永遠ほどの時を生きていくのだ、ということを何度も書いてきました。
死んだら終わりだと思っているから問題なのだ、実はその先もずっと意識を持った個性として生きていくのに、それを知らずに、何の準備もなく死んでしまっては大変なことになる。
そういう思いから、「死んだら終わりではない」というメッセージを強調してきたのです。
それ自体、間違いではないのですが、それだけでは意味があいまいだったのだと気づきました。
違った角度から表現すると、また別の真実が浮かび上がってきます。
人間は死んだら終わり。
この世で得たものはすべて終わりなのです。ほとんどの人が100年足らずで人生を終えますが、その間に苦労して得たものは、何ひとつ持っていくことはできない、だからそれで終わりなんです。
業績を残したとか素晴らしい思い出を残したというのも、残っている人のもので、本人にとっては終わりです。
「死んで持っていけるのは、意識と霊的身体だけです。」
そして、
持っていける意識と霊的身体は、生きている間に体験したすべての出来事の集結、ともいえるのではないでしょうか。
100年で築いたものはすべておわり、そして終わってしまうすべてのものが、エッセンスのように霊的身体にコンバートされて、人は他界していく。だから他界時の霊的身体の状態が、重要なのです。ほったらかしで成長するものではないからです。
生きている間の業績や行い、いい人とか立派な人とか、そういうこととは関係ないからです。
永遠のような他界後のことを都合のいいように思い込んでいる、無関心である、知らない、考えない、やっぱりそれは大きな大きな過ちなんです。
水波霊魂学Q&A 29 結局、死ぬ。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。