霊魂はボーッと生きていない
あの世には善男善女が行く「良い世界」がある、と信じる人は結構いらっしゃいます。
宗教上の教義で、「善い行いをすれば、天の国に行ける」と信じている方々もいらっしゃいますし、特に宗教は持っていなくとも、漠然と、「悪い事をしなければあの世で安泰に暮らせる」と思っている方々も、大勢いらっしゃると思います。
いずれにしても、神様が所管する秩序の中で、美しい景色の下、人々が楽しく幸せに暮らしている様子を思い描いているような気がします。対立や争いもなく、みんな仲良く、キラキラとした世界にいるという感じでしょうか。
でも、ちょっと待って下さい。そういう世界にいった自分を、具体的に想像して見て下さい。
あの世では、食べる必要も寝る必要もありませんし、欲しい物は念で何でも出て来ます。絵でも音楽でも思った通りの作品が作れます。
そんな世界で、何百年も何千年も、ただただ皆と笑って過ごせるでしょうか?
私だったら、とてもじゃないけれど、退屈してしまいます。
もし退屈しないとしたら、他界後、霊魂になったとたん、ボーッと時を過ごせるような個性に変わっている場合です。
知性も意欲も無く、ボーッとしたまま暮らせるのであれば、皆でお花畑を見ながら、笑って暮らせるかもしれません。
でも、霊魂になったからといって、私の意識が別人に変わるわけではありません。死後の世界を自分が認識するという事は、私の意識が連続している事を意味します。つまり、他界しても私は私なのです。
これは私に限った事ではありません。人間の性格は千差万別である上に、地上でいろいろな経験をしてから他界するわけですから、霊魂の個性も様々です。他界したとたん、皆一様にボーッと、何となく時を過ごす存在になるわけではないのです。
実際、あの世の霊魂は、上の世界に行けば行くほど、神霊の為に働きたいと思うようになるようですから、かなりアクティブな感じかもしれません。
一方、下の世界では、力が支配する世界ですから、ボスの命令に服さないと、壮絶なリンチに遭います。逃げたり、隷属したりと、別の意味でのんびりはしていられないようです。
それ故、どういう世界に行っても、霊魂達はボーッと過ごしているわけではなさそうです。
もっとも、上と下の中間の世界では、上の霊魂の命令には従いたくないという事で、自由きままに暮らしている霊魂もいるようです。
ですが、このような霊魂達は、暇を持て余して退屈で困っており、いつも暇をつぶせる方法を探しているようですから、何もしない状態でも幸福感を得られているわけではないようです。
私達地上の人間は、他界した霊魂については、没個性的な魂を想像しがちですが、どうやら、「死ねば仏」ではなさそうです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。