あの世での幸せ

契山館に入るかなり前、私は自分が死んだら、そこそこの世界で「幸せ」に暮らせると考えていました。

「幸せ」というのも、「良い人達に囲まれて、安楽に暮らす事」位にしか思っておらず、それ以上には深く考えませんでした。

でも、それがあの世での「幸せ」だと考えたら大間違いだと、今は思います。

 

あの世では、欲しい物は「念」で何でも出すことが出来ますから、働いてお金を稼ぐ必要はありません。

行きたい所には、すぐに行けますので、車も自家用ジェット機も要りません。

スポーツをしても、絵を描いても、音楽を作っても、全て自分のイメージ通りのものが出て来ます。

例えば、フィギュアスケートのジャンプも、5回転どころか10回転だって実現します。

つまり、何かを獲得するための努力は、全く必要がありません。

一方、食欲もなく、眠ることもないので、時間はたっぷりあります。

 

こういう生活って、とてつもなく退屈ではないでしょうか?

何か「生きがい」がない限り、そのままでは「幸せ」とは言えない状態だと思われます。

恋愛に走る霊魂もいるようですが、ほどほどにしないと、二股三股でいがみ合っているうちに、徐々に幽質界の下の方の世界に落ちていってしまうようです。

下の方に行ったら、怖い霊魂から逃げる毎日であり、退屈さをしのぐどころではありません。

 

やはり、「生きがい」があることは、幸せを感じるための必須の条件のように思えます。

この点、あの世で進歩している霊魂達は、より上級の霊魂達の指示・指導の下で、修行したり活動したりしているそうです。

究極的には、神霊のためにお役に立てることが、彼らの喜びとなっているようです。

そして、それが彼らの魂が感じる真の「幸せ」のようです。

 

by ドーン

(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。

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