仲間の大切さ – 尊大な自分にならないために
友人から聞いた話です。
友人の知り合いの女性には、30歳位になる引きこもりの息子さんがいるそうですが、ある時、息子さんから「お母さん、どうして僕を貴族に生んでくれなかったの?」と言われたそうです。
その女性は、息子さんに対し、腫れ物に触るように接していたそうですが、これを聞いて、「いつか息子は社会復帰できる」という希望が打ち砕かれた気がしたとの事でした。
私は、こういう方面の専門家ではありませんので、この息子さんの言動をどう見るべきかは分かりません。しかし、一般論として言えば、人は、他の人と接していないと社会性や客観性を失い、自分の空想や夢想の中で、どんどん自分を過大評価していくような気がします。
「何で貴族に生んでくれなかったの?」なら、単なるボヤキで済まされるかもしれません。でも、「私は神に選ばれた。」とか、「私は〇〇の神である。」等と言い出したら、家族は大変です。
もし友人や先輩がいれば、「お前、バカか!」とさんざん言われ、軌道修正が出来るかもしれませんが、周りに家族しかいないと、自分の思い込みが肥大化したまま、現実を直視する機会が無くなってしまいます。やはり、友人や先輩らと交わることは、自分を客観的に見つめる上で大事かもしれません。
特に、修行者は、修行を進める上で、尊大な自分にならないように注意しなければならないようです。私達契山館の会員が、師から厳しく注意されている事は、「傲慢にならない事」です。
私達は、未熟だからこそ修行をしています。それを忘れて、自分を偉い者と勘違いし、自惚れたりすると、高級霊魂は離れていくようです。
人と接し、交わることの大切さは、修行の世界でも同じですね。
自分に対する戒めも込めて、修行仲間と接する事の大切さをかみしめる次第です。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。