宗教は心の弱い人が縋るもの?
世界には、数多くの宗教が存在します。
どの宗教にも、開祖・教祖と呼ばれる方々をはじめ、道を伝えるために生涯を捧げた人々がいました。
名前や教えは様々であっても、その思いは深く、強いものだったに違いありません。
何かを始める、未知の世界を開拓する、貫く、それが並大抵のことでないことは誰もが知っています。
体力、気力、人望、そして宗教の場合は信仰心、なかなかできることではありません。
霊魂学徒として霊的トレーニングを始めると、自身の霊的身体である幽体が成長し始めます。
それは、物質社会とは違うレベルで様々な変化をもたらします。
同時に、今まで考えてもみなかった現実、霊的現実を知ることになるのです。
人間の霊的正体、人間の霊的歴史、人間の霊的問題、人間の霊的現状。
それらは世間が中々目を向けようとしないものであり、見ないことが無難であると思い込ませているものです。
霊的真実の追求は、困難な道のりです。
何度も心が折れる思いをして、自身の無力さに落胆して、それでも逃げることはしない。
真実だと信じているから、何があっても縋りついていたい。
縋りつくということは、強い気持ちを持っていないとできないことでもあります。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。