我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
究極とも思えるこの問いかけは、フランスの画家・ゴーギャンが自身でつけた絵画のタイトルとして有名です。
この作品は、ゴーギャンが失意のどん底にあった時期に描かれたものだそうです。
目次
霊的生命体として極めて重要な岐路に立っているのかもしれません
人は誰でも、人生で何度か、このような問いかけをするものではないでしょうか。
思春期に深く悩んでいる時、大人になって理不尽な社会のしがらみにもがき苦しむ時、
大切な何かを失った時、あるいは、大きな失敗を犯してしまった時。
普段は考える必要もなく、どこかに置き忘れたような問いかけ。
我々はどこから来たのか
【1霊魂学徒の視点】
「わたしたちは、幽質界という霊的な次元から来ました。人間は霊的生命体であり、その命は、肉体の誕生以前から存在しています。」
それは「再生」ということになるのですが、世間でよく言われる「生まれ変わり」ではありません。遠い昔に地上で生きたことがある個人の、「霊的なほんの小さな小さな細胞のひとつ、魂の種みたいなものが、地上に生まれようとする胎児に入り込む」という感じです。
肉体そのものは、物質界の法則によって作り出される精密な生物、魂にとっては、乗り物のようなものだと理解しています。
我々は何者か
【1霊魂学徒の視点】
「わたしたちは、肉体を通して自己表現をし、地上に生きている霊的生命体です。」
私達が霊的生命体であるなら、科学はまだ人間について、ほんの少ししか解明していないといえます。
そして、霊的生命体である自分自身の正体を知るために、霊魂学が存在します。
我々はどこへ行くのか
【1霊魂学徒の視点】
「肉体が死んだあと、肉体を使っていた霊的身体である幽体は、肉体から離れるしかありません。そして幽質界へと帰っていきます。」
胎児のときに受け取った、小さな小さな魂の種は、肉体といっしょに大きくなって、地上で体験したすべての記憶を幽質の脳にもしっかりと刻んで、幽質界へと帰っていきます。
新しい住み家となる場所、そこで出会う霊魂達、いったいどのようなところなのでしょう。
残念ですが、
もし死後の世界が天国のような場所で、すべての人・霊魂が、何不自由なく幸せに暮らしていける場所なのだったら、霊魂学が存在する必要はなかったでしょう。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
たとえ自分が望んだ人生でなくても、どうでもいいと思えてしまうことがあっても、生まれた以上、わたしたちは、この答えを求め続けなければならないのです。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。