わたしのタコ先生・「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」(2020)
My Octopus Teacherというのが原題なので、直訳だと「私のタコ先生」となるのですが、邦題は「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」となっています。やっぱりカッコいいタイトルがつきますね。
2020年に公開されたドキュメンタリー映画で、舞台は、南アフリカ、ケープタウンから少し南下したあたりにあるフォールス湾。
人生に行き詰った映像作家の男性が、子供のころに遊んでいた海に戻り、そこで彼が後に「人生の師」と呼ぶことになるメス蛸(たこ)に出会います。約1年の間、毎日、素潜りで海底の森を探索し、蛸とのふれあいを通して彼が得たものは・・。
このサイトでも、蛸の学習能力のすごさを研究した動画を紹介したことがありますが、このドキュメンタリーでは、自然界で生活する蛸の実態、驚くような行動や性質が、美しい海底の映像と静かな語りを通して観るものを魅了します。
毎日の交流を通して、ダイバーは、蛸に特別な思いを寄せていくのですが、過酷でもある自然界の成り行きに余計な手を出さず、じっと観察し続けたところが、この作品のすごさでもあると感じます。
こういった自然界の様子をテーマにした作品と出会うたびに、人間の不自然さというか、愚かさというか、同じ地球という環境に生きる生命体として恥ずかしくなるというか、不思議な思いがこみ上げます。
けれど所詮は偽善者だ、と言われても返す言葉がありません。少したてば、文明の利器に身を任せ、のうのうと「万物の長」づらをしているのですから。
環境を守ろうとか改善しようとかいう動きがあることは素晴らしいことですが、だからといって、原始の生活に戻ることなどできない人類は、存続する限り、負債を背負っていく生命体でもあると自覚しています。
蛸もサメもくらげも、みんな幽体を持っています。ということは、死んだあとも、幽質界で生きているということです。中には、随分と意識が成長して、人間と交流することができるものもいるかもしれません。
いつか幽質界で、そういう生命体と出会うことがあったら、彼らは何と言うのでしょう。人間が環境を守ろうと言って色々とやっているけれど、一番の方法は、人類そのものが・・・とか?
ネガティブなことばかり言うのはやめましょう。なぜなら、人類にはまだできることがあるからです。最後の手段、それは、
ひとりひとりが霊的に目覚め、霊的生命体としての最善を目指すことです。
そうすれば、人間という生命体は、地球という環境、そして幽質界という環境の中で、善でも悪でもなく、それぞれにユニークな個として、共存していくことができるのではないかと感じています。
(記事トップの写真は実はイカ・・・じゃないか?)
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。