スピルバーグの【マイノリティーレポート】は予言映画だったのか?
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今観ても興味深い20年前に作られた52年後の世界
トム・クルーズ主演のハリウッドSF映画「マイノリティーレポート (2002年)」。
映画のもとになった同題の短編小説が米SF雑誌に公開されたのはなんと1956年だったんですね。
小説のほうは、予知能力のあるサイキックを使って、犯罪を未然に防ぐというのがテーマだったようですが、
スピルバーグの作品では、舞台を2054年という近未来に設定し、原作のテーマをベースに流しながらも、視聴者を驚かせ、引き付ける様々な未来テクノロジーの産物を披露しています。
初めてこの映画を観たときに驚いたのは、テクノロジーそのものというよりは、それらが近いうちに現実となるのが容易に想像できたということでした。
20年が過ぎた今、映画に登場する様々な(スピルバーグいわく)”オモチャ”の半分以上が現実となっているのではないでしょうか。
それもそのはず、スピルバーグ監督は、この映画のために、各界の有能な人材を招集して「Think Tank Summit・ティンクタンクサミット(アイデアを出し合う会議)」を開き、2054年に現実となるであろう世界を描いた80ページに及ぶ「2054バイブル」を作成していたんですね。
排気量ゼロ・自動運転の自家用車、網膜認証装置、街中に設置された高性能防犯カメラ、ユーザーごとに最適化された広告、ロボットによる捜査、などなど。
そして興味深いのは、映画のテーマを支えている「犯罪未然防止対策」が、テクノロジーの発展と逆行するかのように、生身の人間であるサイキックの能力に依存しているということです。
タイトルの「マイノリティーレポート」の意味は、「少数派の意見」。3人のサイキックが予知する犯罪データの集計結果が、多数派か少数派かという意味で、担当部署の刑事が乗り出すのは、多数派と見なされた場合だけ、ということだったと思います。
映画のストーリーは、この犯罪未然防止システムのすき間をくぐって企てられた陰謀が暴かれていくという流れになっていて、サイキック、予知能力、といった超常現象の信憑性、社会との関わりや、実際に与えうる影響などについては、視聴者それぞれの判断に委ねるというグレイなスタンスで通されています。
この映画を観たのは、霊魂学に出会う前でしたが、映画のラストシーンに、ほっとした気持ちになったことをはっきりと覚えています。
人間は人間、それ以上でもそれ以下でもない?
最近になって、近未来を舞台にした作品が目にとまるようになったので、この映画のことを思い出し、霊魂学徒という目線で、もう一度観たらどう感じるだろうか、ふとそう思ったのです。
最近は2時間というスキマ(じゃないか・・)時間を作ることがなかなかできなくて、いつになることやらわかりませんが、観終わったら、また感想など書いてみたいと思っています。
AIを中心とする様々なテクノロジーの発展は、実に興味深くはありますが、やはり心配な点も多くあります。
それは、いくら地球という環境が改善されて、人々の暮らしがより豊かに便利になったとしても、
人間は人間、それ以上でもそれ以下でもない、からです。
人間が幽質の体を持った霊的生命体である限り、物質の次元のみで何がどうなろうと、今の霊的な環境が根本的に改善されることはありません。
数千年前の人類も、今の人類も、数千年先の人類も、他界後には、それぞれに見合った幽質界へ入り、霊的生命体として生きていくだけです。
人間の正体でもある幽体が成長しないのなら、回りの世界がどれだけ進歩発展しても、何の意味もありません。
それは逆に言えば、人類が、霊的生命体であることを認識して、自身を含めた霊的な環境を改善することに目覚めるなら、テクノロジーの進歩発展が、人類の霊的成長と共存する可能性もあるかもしれないということです。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。