メタバースが現実となる時そこに広がるのは・・・
「メタバース」とは、ネット上に繰り広げられる仮想空間、新たな3次元空間とも言われている・・・
昨年、フェイスブックが「メタ」と改名を発表し、そのビジネス舞台となる「メタバース」という言葉が再浮上、バズワードにもなっているようです。
不透明な水中眼鏡のようなギアを装着し、何やら「自分の世界」に没頭しているような様子を見て、「なんだありゃ?一度試してみたいなあ」と思っていると、あれよあれよという間に新参ビジネスがなだれ込み、今や利益の匂いが立ち込める底無し沼のように・・・
ですが、メタバースに参入するビジネスが増えれば増えるほど、それに関連したポジティブもネガティブも激増するわけですから、目が離せないのも事実です。
自分の部屋にいながらにして、世界中の名所を訪れたり、
鳥のように空を飛んでみたり、
深海を泳いでみたり、
そういったことは娯楽の一環として楽しめるのでしょう。
どこにいても誰とでもつながり、同じ空間にいるような感覚で仕事ができれば究極のテレワーク環境ができるのかもしれません。
一方で、現実では体験しないようなことが仮想空間で起こっていると、それがだんだんと現実に近くなり、そして現実になる。米映画「アバター」の主人公が体験することも、まさにこのメタバースの世界を後押ししているかのようです。
メタバースの可能性は無限大です。その現実を、人々は目の当たりにすることでしょう。
メタバースについて知れば知るほど、それは「仮想幽質界」のようだと感じています。そして皮肉なことに、それは、「下層幽質界」でもあります。
どこにでも飛んでいけて、誰とでも交流できて、戦っても傷ついても不死身。ちっぽけでひ弱な自分でも無敵の巨人のようになれる。
ただ、本物の幽質界と、仮想幽質界との間には、致命的な違いがあります。それは、どれほど現実味を帯び、実際に人間そのものに影響を与えるとしても、仮想は仮想であるということです。
仮想幽質界の体験を通して、自身の幽体を傷つけ低下させた人間が、他界後に入っていく空間、そこに広がるのは、現実の下層幽質界。
痛いものは更に痛く、苦しいものは更に苦しく、恐ろしいものは更に恐ろしい、セーフゾーンもなく、オフにすることもできない、現実の世界なのです。
科学とテクノロジーの流れに逆らわず、どこまでもどこまでも流されていく人類は、いつその現実に気づくのでしょうか。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。