金持ちが天国に入ることは難しい?
新約聖書によれば、イエス師は「金持ちが天国に入ることは難しい。」「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言われたそうです。
この言葉をストレートに受け取ると、裕福な事自体が罪深いようにも感じてしまいます。
でも、このイエス師の言葉は、お金を持つことを否定し、清貧に暮らすことを推奨したのではなく、金持ちは上の世界に行きにくいという霊的な現実を述べられたのではないでしょうか?
人間は、自分と他人とを比べ、優越感や劣等感を持ちやすい性質を持っています。特に、価値観がお金中心の人は、自分よりも稼いで良い暮らしをしている人に対して、強い対抗心や嫉妬心を燃やしがちです。
このように心に思っただけなら、何の影響もないと思われますが、実はそうではないようです。
人が強く思いを出すと、肉体と重なっている霊的身体(幽体)から「念」という霊的な質量が出て、それがまるで生き物のように動き出すようです。そして、嫉む相手がすぐ側にいれば、凶器のように相手の幽体に突き刺さるようです。
もちろん目には見えませんから、相手の幽体は知らないうちに傷ついています。
それが頻繁であると、仮に自然治癒する機会があったとしても、次から次へと念を浴び、自然治癒が追いつかないまま他界時期を迎えることになります。
そうすると、必然的に下の世界に向かいます。
それ故、金持ちで裕福に暮らしていると、人々から嫉みの念を受け、上の世界には行きにくくなるのです。私には関係ありませんが、裕福さをひけらかさない方が良さそうですね。
特に現代の世の中は、競争社会です。
どの位お金を稼ぐかで人の価値をはかり、競争に勝ち抜けなかった人を小馬鹿にして、貧困はその人の自己責任かのように言う人もいます。
表面的にはそういう考えを隠したとしても、根底で思っていれば、雰囲気で周りの人達に伝わるかもしれません。
そうなると、嫉みだけでなく怒りも買い、幽体は傷だらけになっていくと思われます。
のみならず、その人の所有物も、見るからに高そうだったり、皆の羨望の的になるような物だったら、それに対しても念が飛んでくるようです。そして、その念が目印になって、霊魂が集まってきたりするようです。
人は霊的な生命体です。
それにも拘わらず、ただただ物質的に生き、人よりも豊になる事が人生の目的と考えると、死後は辛い人生となりそうです。
参考動画:
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。