縄文時代の人々の方が進歩的?
中学校の時、世界4大文明というものを習いました。
原始的な暮らしから脱し、技術や社会の仕組みを発展させていった人類はスゴイなぁなんて、賞賛したものでした。
その延長線上にある現代の科学技術は、それどころではありませんよね。スマホという小さい機器で世界中の情報を入手できるなんて、100年前には誰が想像したでしょうか?科学技術を人類の進歩とすると、人間は驚異的な進歩を遂げたと言えます。
でも、人間の中身としては、どうなんでしょうか?
確かに、テクノロジーは進歩しましたし、医学の発達により平均寿命も延びました。
とはいえ、お金が無くなれば厳しい生活となりますから、将来に全く不安を抱えていない人は、ごく一部かと思われます。
それどころか、世界中のあちらこちらで問題が勃発しており、相変わらず人類は殺し合いをしています。
人口が2022年11月で80億になると言われている中、生まれてすぐに餓死したり、内紛や侵略行為によって絶たれる命もたくさんあります。暴力的な集団や国家に、奴隷のように扱われている人達もいます。
人は、果たして進歩したと言えるのでしょうか?
もし、現代の科学技術からすれば、大分遅れているような暮らしであっても、争いや競争が少なく、霊的に進歩していけるような知識と環境を持つ社会があったとしたら、どうでしょう?
私は、そのような社会を作っている人達の方が、人間として進歩的だと思いますが、皆さんはどう考えるでしょうか?
どうやら日本には、4大文明以前に、そうした霊的文明があったようです。
そこで霊的に進歩した人達は、二度と地上に再生する事はなかったようです。
縄文時代には、他国や他時代に比べて暴力死亡率が極めて少なく、平和だったとの研究結果もあるようですから、こうした霊的文明があったとしても、不思議ではないかもしれませんね。
私は小学校の頃、弥生時代の方が、縄文時代よりも文明的で優れているように習いましたが、今は非常に疑問です。
渡来人が到来して弥生化する前の日本には、人類のお手本になるべき所が、随所にあったのではないでしょうか?
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。