AI時代の行く末は?
最近、AIに関する記事をいくつか拾い読みしたのですが、それをきっかけに、そっち関連の記事や広告が、たくさん画面に登場するようになりました。
クッキーの情報収集によるものなのでしょうが、考えてみれば、これもすごい機能なんですよね。自分の行動データが分析されて、ある条件を満たすものを送り返してくる、都合がいいと同時に、なんだか怖くもあります。
ネットが世界をくまなく繋げたことで、物質以外のものは、場所や距離に制限されることがなくなったようなものです。
テクノロジーの発展はもう止められないだろうし、いいこともたくさんあります。
でも、人間がロケットを飛ばしたり、難病を完治させたりする事と、人間に近いAIを創り出そうとする事とは、どこか違うように感じています。
SF映画の観すぎと思われるかもしれませんが、人間を複製したり、人間をAI化したりすることは、人間そのものを変えてしまうことになりかねないので、それが起因となって生じる霊的影響というものは、計り知れないんじゃないかなと心配したりするのです。
「便利」の域を超えて「危険」の域に到達するまでには、まだまだ長い時間がかかるのでしょうが、先日見かけた記事のタイトルにはちょっとドキッとしました。
「脳をデジタル化することで永遠の命の実現は可能になるのか」(www.nikkeibp.co.jp の記事でした)
要するに、(霊的な部分を度外視した場合の)人間という生き物は、すべてが物質で出来ていて、脳も心もすべて物質で、そこから発生する表情や感情や言動、考え方、夢や希望、すべて物質の産物なので、物質である以上、科学が人工的に再現することができるはず、ということなんでしょう。
そしてそれは、いつか現実になりそうです。
随分前に、スピルバーグ監督の映画「A.I.」(2001年) を観たときに、異様な感情が沸いたことを思い出します。
見かけも人間と変わらず、肉体の成長はないけれども、喜怒哀楽を表現し、人間と心を通わせることもできる、そんなA.I.と人間の違いって何なの?って感じたんです。(霊魂学に出会う前のことです)
人が愛情や愛着を持つ相手は人間とは限りません。ペットやアニメ、想像の産物を他の何より愛する人だっています。傷つくことを避けるために、人と深く付き合わないという人もいます。
もし、絶対に自分を傷つけないし、自分のためだけにずっとそばにいてくれる、自分の好みの姿をしたA.I.が現れたら、嫌な気はしないんじゃないかな・・・
もし人間が物質だけの生き物なのだとしたら、真に科学は万能と成りえるのでしょう。
もし物質だけの生き物だとしたら、です。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。