歴史的な英雄が入る世界は?
アレキサンダー大王、シーザー、チンギス・ハン(ジンギス・カン)等、歴史に名をとどろかす英雄に、憧れる人は多いと思います。
日本でも、戦国武将の人気は高く、性格がエキセントリックな武将については、特にファンが多いようです。
さて、こういった英雄は、死後、どういう世界に入ったのでしょうか?
「善行を積めば天国に、悪い事をすれば地獄に堕ちる。」という考え方からすると、どのような評価になるのか、興味深いところです。
人を1人殺した場合には、比較的評価しやすいですが、スケールが大きくなればなる程、分かりにくくなります。
例えば、ジンギス・カンは、モンゴルでは大変な英雄です。
他国民、他民族を征服して、自国に繁栄をもたらしたのですから、人々の崇拝の対象となっているのも、理解できます。
日本人でも、子供の頃に学校でジンギス・カンの事を習った時、アジアにもすごい人がいたんだなぁと、憧憬の念を抱いた人が多くいたと思います。
人は、どうやら、征服した側の英雄に憧れる傾向があるようです。
でも、征服された側からすれば、英雄どころではなく、大量殺戮者・強奪者にすぎません。
その時の様子を想像し、当時の被征服者がおかれた苦難を考えると、とんでもない大悪人と思えます。
そうすると、「良い事をすれば天国に、悪い事をすれば地獄に堕ちる」のが真実であるならば、こういった英雄は、良い行いをしたのか、悪い行いをしたのか、どちらなのでしょうか?
人間が考える善や悪は、立場によって見方が変わります。
原子爆弾の投下についても、日米で、戦争を終結させるための正義だったのか、不必要な投下だったのか、歴史的評価が異なると思われます。
「自分の頭では判断できないが、神様ならキチンと判断し、あの世の行き先を決めるはず。」というのであれば、そもそも「悪い行いをすれば地獄へ行く」とは言えなくなります。
「ともかく神様が決めた所に行くようだ。」と言うべきではないでしょうか。
水波霊魂学では、人間の考える「善・悪」ではなく、肉体と重なっている「幽体」の状態で、死後に行く世界が決まると主張しています。
それが、あの世の法則なのです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。