あの世は無法地帯
あの世では肉体はありませんので、お腹は空かず、眠くならないし、性欲も無くなるそうです。
雨も降らないので、家を構える必要もありません。でも、欲しければ、家でも家具でも、強く思っただけで出現させる事ができるそうです。それ故、他者が持っている物を欲しがるという事もありません。
病気も、老いる事もないですし、死後の世界ですから、もはや死ぬ事もありません。したがって、盗むな、殺すな等という規範は、あの世では存在意義がありません。ただ、念を武器にして、他の霊魂を痛めつけ、苦痛を与える事は出来るようですので、自発的に念を押さえないと、争いが絶えなくなってしまいます。
では、「念で他者を傷つけてはならない」という法律があるかというと、これも「無い」と言わざるを得ません。警察組織も裁判所も、刑務所も存在しない世界では、仮にそういう規範があったとしても、機能しません。
そうすると、あの世に住む霊魂達が皆、思いやりに溢れていればともかく、そうでない場合には、とんでもない無法地帯となります。
この点、あの世は、幽体の性質に応じて、自然に階層が分かれているようです。幽体は、生きている時には肉体と重なっていますが、肉体が無くなってあの世で暮らすようになった時には、幽質の状態が剥き出しになります。
幽体の状態が良ければ、良好な幽気が存在する世界に必然的に引き寄せられます。逆に、幽体の状態が悪ければ、そのような幽体にふさわしい幽気が存在する世界に引き寄せられます。
そして、あの世をざっと上層幽界と下層幽界とで分けると、幽体の状態が良い霊魂は上層幽界へ、幽体の状態が悪い霊魂は下層幽界へと向かうようです(上層幽界のもっと上の方を上級幽界と呼んでいますが、そこにいる霊魂達は、そもそも他者を傷つけるような念は出ないようです。)。
下層幽界に行くのは、いわゆる悪人ばかりではありません。この世で善人と言われた人でも、幽体の状態が悪ければ、そこに行くしかないそうです。もっとも、下に行けば行くほど、残忍で冷酷な霊魂の比率が増すようです。
それ故、そこはまさに無法地帯であり、念の強い者が弱い者を支配し、逆らえばすさまじいリンチが待っているという世界のようです。
この世でも、自分の支配欲や野望のために、他国を武力で侵略する人がいます。他国民の苦しみや悲しみ等は、意に介しません。部下の中にも、粛正を恐れて逆らえない人達がいるようですし、一般の人々も、反対の意思を表明すれば命の危険があるため、言論は萎縮します。
自国内では、支配に都合が良いように法律を作り替えて情報を遮断し、国際法が存在していても、これを無視します。法があってもこうですから、何もなければ、支配者のやりたい放題です。
実際、世界を見渡すと、そういう地域や国家もあるようです。暴力で支配する組織は、そのミニチュアです。
あの世の下層幽界は、まさにそのような世界であり、力のみが支配する世界です。
他界後に目が覚めたら、そういう世界にいた場合、上の世界には、ほとんど這い上がれないようです。上層の霊魂達が、自分の力を落として下層幽界に降り、苦しんでいる霊魂達を救おうと尽力するようですが、降りる世界にも限界があります。
下層幽界でも、上層幽界に近いような世界ならともかく、それ以下の世界では、救済に行くのも難しいようです。
ですから、生きているうちに、最低限、そういう世界には行かないようにしなければなりません。今から、幽体の状態を良くするよう、対策をしておく必要があるようです。
それは、決してこの世の悪い状況は無視して、あの世にのみ期待せよという趣旨ではありません。この世の事は、この世の人間である私達の責任です。何とか知恵を絞って、より良い世界を模索しなければならないと思います。
でも、どんなに世の中を良い方向に持っていったとしても、自分が他界後に地獄のような世界に入ってしまったのでは、元も子もありません。
愛の心を育てても、表面の自意識が変わるだけで、救いにはなりません。まずは幽体を鍛えることが必要なのです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。