心の成長イコール魂の成長ではない
心を美しくし、愛情豊かな人になる事を、人の道と説く宗教が多いようです。
宗教とは名乗らずとも、霊的な世界を前提とした上で、「物質に執着しなくなり、心が軽くなれば、死後は高級な次元の世界に入る」旨を説くグループもあるようです。
ご神託によって判断を仰ぐというようなシャーマニズムでは、心は問題とされませんが、いわゆる「教え」を中心とし、人の生き方を問題とする宗教では、心を磨く事が奨励されるようです。
そういった宗教の中には、魂の存在を否定した上で、生きている時の心の有り様を問題とする教えもあるようですから、その宗教は、人生を渡っていく上での現実的な教訓を教えてくれるのかもしれません。
でも、そうなると、哲学と変わらないのではないか、宗教として存立する必要がないのではないか等の疑問も湧いてきますが、「○教は、哲学的だから好き」とおっしゃる方も多く、宗教に対して否定的な感情を持たれる方には、好意的に受け取られているようです。
では、魂の存在を肯定する場合、心を磨く事は、魂の成長に結びついているのでしょうか?
魂が、心とイコールであり、この世で心を磨けば、そのまま魂の成長に繋がるというのであれば、そう言えるのかもしれません。
しかし、魂というのは、複雑で巨大な意識の複合体のようです。
私達人間は、肉体のみならず、それと重なっている幽体、高貴な意識である霊体も有しており、それぞれ別個に意識があるようです。
幽体一つとっても、現世での記憶のみならず、過去に生まれて死んでいった過去の人生(いくつもありますので、まとめて過去世と言っています。)の記憶も、幽体の意識の中に刻まれていますから、私達の意識は、本質的にかなり複雑なものだと思われます。
それ故、今生でちっとやそっと心を磨いたからといって、魂の全体を塗り変えることは不可能なようです。
心を美しくする事を否定するものではありませんが、それが魂の成長とはイコールではないようです。
詳しくは、以下の動画をご覧下さい。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。