鬼滅の刃・夢中になるのわかります
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噂には聞いていた「鬼滅の刃」
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』なるタイトルが封切りされたのが、去年2020年の10月。
全世界のコロナ感染者数が、第一波のピークを迎えていた時期ではなかったでしょうか。
映画館は封鎖されていたか、定員の半分以下に調整して営業されていた頃。
劇場版が公開されて、世界中で大反響だというニュースは頻繁に耳にしていたので、なぜ、何が、どんな風に面白いんだろうと、気になっていた作品です。
それが、Netflixというチャンネルで、26話に及ぶアニメのシーズン1が公開されているのをみつけて、ぜひ観てみようと思ったのでした。
鬼滅の刃の魅力・多くは語るまい
10話を見終わったところでこの記事を書いているので、これからどのように展開していくのかはわからないとして、
第一話から一貫して感じているのは、重く迫ってくる「哀しみ」。
大切なものを失くした「人間」の哀しみ
鬼になってしまった「人間」の哀しみ
鬼を殺さねばならない「人間」の哀しみ
後戻りすることのできない、どうしようもない哀しみを背負って戦うしかない「人間」と「元人間」。
理不尽な運命だと嘆く暇もなく、怒涛に巻き込まれるように突き進む少年・炭治郎の危うさ。
霊魂学を通して「鬼滅の刃」を観る
霊的修行者は、おそらくみんな、日常で出くわすすべてのことを、霊魂学を通して考えようとします。
この物語なら、たとえば、
「鬼」という存在は、かつて普通の人間だったけれども、どこかで幽体を傷つけ傷つけられて下層幽質界の住人となってしまった。
生き延びるためには人間を殺し食らうしかなくなった鬼。その鬼の手から人間を守るために、炭治郎という少年は、厳しい訓練を耐え抜き、強靭な幽体と刃という武器を手に入れ、鬼退治へと向かう。
しかし、炭治郎は、鬼を殺したいのではない、本当は救いたいのだ。醜い鬼の形相のうしろに、どうしようもなく哀しい人間の姿が見えるからだ。
しかし現実は甘くない。殺さなければ殺される。殺されれば、大切なものを守ることができない。
何があっても諦めない、最後の一瞬まで目をそらすことなく、全力を尽くそうとする炭治郎の姿は、霊魂学徒の雄姿のようにも見えるのだった。
という感じ。
日本のアニメはすごいですね。引き込まれる映像に加えて、実写では難しい動きを表現、その上にドラマがあります。
「日本が好き、日本に興味がある」という海外の若者のほとんどが、アニメ好きなのも頷けます。
ちなみに、「鬼滅の刃」の英語タイトルは、「Demon Slayer」。
「Demon」の和訳は「悪魔」、「悪魔」の英訳は「Devil」だったり「Demon」だったり。
そして、「鬼滅の刃」の英訳は、「Devil’s Blade」と出ました。(by グーグル翻訳)
一般に、Demonは、Devil(悪魔・サタン)の子分たちというイメージがありますから、このアニメに登場する鬼たちは、「Demons」ということになるんですね。
当サイトでも、ドーンさんがオリジナルの画像を作成して霊魂学を伝えています。
たくさんの方に観ていただきたいです。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。