エンディングノートも大事ですが…

年を取ってくると、死は遠い未来の話ではなくなり、現実味を帯びてきます。そこで、意識がはっきりしているうちに自分の死後にまつわる問題を解決しておきたい、と思うようになるようです。
遺産の分け方を遺言書で指定したり、葬儀の方法やお墓についての希望をエンディングノート書いておいたりと、事前に意思を表明しておく人が増えてきました。
しかし、これらの準備は全て地上世界においての事柄です。
相続人間のもめ事を回避したり、どういう方法で祀ってほしいか等の希望ですから、自分自身が死後の世界へ行くための準備ではありません。
死ねば無になると信じて疑わない人達は、自分が死後の世界に入るなんて事は考えないでしょう。
ただ、それでも葬儀やお墓について指定する人がいるというのは、残された人達に自分の事を無視しないでほしいという希望でしょうか。死後であっても、自分の痕跡はどうでもいいというわけではなさそうです。
一方、死後の世界を信じている人達は、「自分は悪い事はしていなかったから、悪い世界に行くわけはない。」等と、自分が漠然と思い描いている世界に行くと思い込んでいるように見受けられます。
しかし、死後の世界は生きた人間には分からない世界だからこそ、歴史上いろいろな宗教指導者が真剣に霊的感性を磨き、謎を解き明かそうとしてきました(もちろん、世俗まみれの宗教家は沢山いたと思いますが。)。
それでも、今日、高級霊媒を通じて地上に情報が降ろされるまで、死後の世界の真実がこの世に示されることはありませんでした。
それなのに、何も努力も修行もせず、ただただ自分に都合の良い世界を思い浮かべ、霊的な真実を探ろうとしない人が、どうして死後の世界を分かり得るのでしょうか?
脳内がお花畑のまま、あの世でもお花畑に行ければ良いかもしれませんが、現実の霊的世界がそれと全く違ったら、もう取り返しが付きません。
生きているうちに、水波霊魂学で霊的な真実を知って頂きたいものです。
エンディングノートも大事ですが、もっと大事なのは、自分の死後の人生です。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。





