人間は残酷な生命体ですが、光輝く部分もあります。
人類の歴史は殺戮の歴史です。
古今東西、ずっと強い者が弱い者を虐げ、強奪し、差別し、支配してきました。
剥き出しの圧政や、力による支配が横行しており、国際社会がいくら非難しようとも、それを指揮する人達は、掴んだ権力は放しません。
その傾向は、程度の差こそあれ、世界中どこでも同じです。
人間は、いわば自業自得と言えますので、そのような結果を受けるのは当然かもしれません。
もちろん、放置すべきではなく、人間の知恵で乗り越えるべきですが。
問題は、他の動植物達です。
何故、ただ自然の摂理に従って生きているだけの動植物が、人間の犠牲にならねばならないのか、人間はもっと深く考えてみるべきだと思います。
最近、キツネ狩りの標的とするために、キツネを大量に養殖している人達のニュースが流れました。
人間がキツネを撃ち殺しても、まだまだ撃ち殺す対象がありますよという事で、キツネを養殖して数を増やしておくのです。
鬼畜とは、まさに人間の事です。
人間が肉体を持っており、「食べる必要」がある以上、他の動植物を食べる事は仕方がないことかもしれません。
でも、ただ楽しみで他の動物を殺生することは、単なる「罪」と言わざるを得ません。
人間がいなかったら、動植物はどんなに幸せでしょうか。
ただ、そういう残酷な人間にも、神霊を志向する心もあるそうです。
どんな人間であっても、人間である限り、光輝く部分を持っているそうです。
世界中の人が皆、そのような部分に目覚めていったらなぁと思います。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。