「念は目に見えないけれど、物理現象と言えるのではないか!?」説
「念」は目に見えない制御不能なマシンガン?!
想像してみてください。
あなたが誰かに対して、妬み、憎しみ、怒りといった強い思いを抱くたびに、
その思いが、銃弾のように、外に飛び出していく様子を。
「念」という銃弾は、ある意味、目に見える銃弾より恐ろしいものなのです。
当たっても相手にはわからないし、痛くもないし、すぐに症状が出るわけでもないからです。
しかも、対象者に当たるとは限らない、それはすぐそばにいる大切な人に当たるかもしれないのです。
念=強い思い・特別なものではありません
強い思いを抱くと、それは念となって飛び出します。
そして、強い愛や思いやりの気持ちよりも、憎しみ、怒り、恨み、といった気持ちのほうが、鋭い念となって飛び出すそうです。
確かに、鋭さと言う点では、憎しみ恨みといった思いのほうが、尖っていそうですよね。
反対に、愛する思いとか好きとか憧れとかいう思いは、ふんわりとマシュマロのような念ともいえるかもしれません。
鋭い念によって傷つくのは、人間が持つ「幽体」の部分で、肉体ではありません。
念を受けた人の幽体は、知らないうちに、どんどん傷ついて弱っていって、
そして、弱った幽体は、肉体に影響を及ぼすこともあるそうです。
だから、「念」が、たとえ目に見えない、感じることもできない質のものだとしても、
結局、時間を経て、肉体にも影響を及ぼす、それは、間接的な物理現象とも言えるのではないでしょうか。
契山館HP「霊魂学最前線」に、念について書かれています。
どんな武器よりも怖いのは、幽体を傷つける、人間同士の念なのかもしれませんね。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。