言葉がいらない世界で私達はどうなる?
「あけおめ!」「ことよろ!」今年のお正月に習った(?) 言葉です。
おそらく今に始まったことではないのでしょうが、日本人は言葉を省略することが得意だと思います。
ネットが広まって文字を打ち込むことが多くなってきたので、できるだけ早く打てるようにと省略することもあるのでしょう。でも話し言葉にも、省略がたくさんあります。たとえば、もう何年も前から「ムズイ」という表現は、文科省認定?って思うくらい、あらゆる場であらゆる人が当然のように使っています。
日本語には「最小限必要な意思疎通の道具」という域をはるかに超えた「エキストラ」がふんだんにあって、今の時代には荷が重くなってきたのかも。
微妙なニュアンスを表現する言葉も山ほどあって、たとえばそれを英語に訳そうとすると説明文になってしまうことがよくあるんですね。日本語を学んでいる外国人は苦労してるんだろうな~。
意思疎通を図るという目的だけでなく、日本語という言語そのものが、日本人の歴史、伝統、文化、芸術、の集大成なのでしょうね。
ところで、
思いや考えを的確に素早く伝える、ということであれば、幽質界に勝るものはないといえます。それは、言葉という媒体がなく、思いや考えを「念」という形で瞬時に伝えることができるからのようです。「まるでテレパシー」といってもいいのかもしれません。
そうなると幽質界では言葉そのものが必要なくなるので、話すことも書くことも打つこともなくなるということです。
なんかすごい。だけどちょっと心配?
考えることが全部ツツヌケってこと・・・?
でも、幽質界に入れば、念の使い方やコントロールのしかたも、ちゃんと先輩に教えてもらえるとのことで、そこまで心配することもないようです。
心配といえば、そういう先輩に会えるような幽質界に入れるかどうかってことですね。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。
クイズの答え:壁に耳あり、障子に目あり