言われなきゃわからないことだらけ・本心・本音
子供のころは、親とか先生とか回りの大人から、なんだかんだと怒られたり注意されたりするものですが、大人になるにつれ、だんだんと言われなくなります。
ある程度の年齢以上になると、文句を言われることはあっても、親身に注意してくれる人は減ってくるんです。言われたら言われたで、頑固になって、なかなか聞く耳を持たなかったり、人間はいくつになっても未熟な部分があるのに、それを反省したり改めたりする機会が減ってしまうこともあります。
でも実際は、いくつになっても言われなきゃわからないことだらけなんです、残念ながら。
霊魂学では、地上に暮らす人々が何を選んで何をしようと、それは個々の自由だという表現がされます。自由意志というものです。信じるのも自由、信じないのも自由。何を選ぶのかも自由だし、何をするかしないかも自由。でもそれは「何も言わないからどうぞご自由に。」というよりは、それぞれの本心・本音に意味があるということかなと考えたりします。
幽質界(他界して最初に行く世界)では、本心・本音を隠すことができなくて、嘘をついたりごまかしたりするのが困難になるようです。だから、今は肉体で覆い隠されているとはいっても、大切なのは、本心・本音だけなのかなって。
守護霊や指導霊、高級霊魂方から見れば、人類はひとり残らず未熟な子供のようなものです。信じて求めるのであれば、いついかなる時も、いくつになっても、どんな経歴でも、どんなに未熟でも、自由意志にこたえようとしてくださる、と思っています。
地上で歳を重ね、もう誰も、何も言ってくれなくなったとしても、高級霊魂方は、いつまでも私たちが最善の選択をしながら進んでいけるようにと、指導しようとされるのです。
本心・本音でしっかり選択していきたいと思うのですが、本音は、高級霊魂方に、そばにいらしてください~~と願うばかりです。
だったらそれ以前に、ちゃんと本心・本音で修行を継続して、高級霊魂方の視界に映るように幽体オーラを大きく輝かせなさい、ってことですね。
霊魂学動画・霊的修行をやめても効果はそのままですか?残念ながら・・・
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。