悪の存在価値
12月末のホリデーシーズンには、偉い祭司の方とかが話している様子をテレビで観ることが多いのですが、先日、こういうお話を耳にしました。うろ覚えですがこんな感じです:
「デビルというのは悪ではなく、善の欠如なのです。穴のようなものなので、そこを善で埋めればいいのです。」
わかるようなわからないような、要するに悪は存在するのか、あるいは悪の観念が違うのか・・・?
どちらにしても、地上では、何かにつけて比較することが多いのです。比較することで、どちらかを良しとするのです。
悪があるからこそ善の意義がある、不幸があるから幸福のありがたさがわかる。
でも、もともと地上に降りる前の人間が暮らしていた世界では、悪というものはなく、そんな観念もなく、だから善とか幸福という観念もなかったのでしょう。もちろん、愛しましょう、と呼びかけることもなかったのです。
今さらかもしれませんが、悪を知ったから、不幸を味わったから、善や幸福を目指そうというのではなく、そんなもの全く存在しないことのほうが、きっとよかったのだと思います。
でも人間の魂はそれでは満足しなかった、チャレンジ精神旺盛だったのです。
他人事ではありませんが、人間ってつくづく珍しい生命体だなと感じます。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。