死後の世界はビビッドな世界
あの世で成仏した魂は、皆、にこやかに幸せに暮らし、子孫を見守ったりしていると思っている方が、結構いらっしゃいます。
ここで成仏というのは、仏教用語としての使い方ではなく、「この世に未練を残したり執着したりせず、あの世にちゃんと行く」という意味で使っているようです。
死ぬという事は、この世からあの世へ移動するという事ですから、死者である以上、未練や執着心とは無関係に、既にあの世に行っているわけですが、それはともかくとして、あの世に行きさえすれば、霊魂達は皆、穏やかな性格になって、仲良く暮らすかのように捉えられているのは不思議です。
もし、そうだとすると、霊魂達は何をしているのでしょうか? いくら子孫が気になっても、4,5代先になれば他人も同然であり、関心も無くなります。
皆で何かをするとしたら、何をするのでしょうか? 遊びのような事を考えて、楽しく過ごすのでしょうか?
死後の世界を想像する時、私達は、霊魂達をまるで思考停止した生命体であるかのように考えがちです。つまり、ボーッとしていて、どんな状況でも温和に笑っているような存在として捉えがちです。
成仏さえすれば安泰だと思うのでしょうけれど、そうした生活がどんなに退屈だろうかとは考えないようです。
でも、実際のあの世は、もっとビビッドな世界のようです。
例えば、下の世界の入口のような所は、今や、多数の人がこのような階層に行くようですから、それこそ色々なタイプの霊魂がいます。
同じような主張を持つ霊魂達でグループを組んだりするようですし、他の霊魂を寄せ付けずに、一人でいる霊魂もいるようです。
決して上の階層ではありませんので、地上で争いがあるのと同様、ここでも同じようです。いや、もっと酷いようです。
地上では喧嘩があれば、警察が取り締まりますが、あの世には「人を殴ってはいけない」というような法律はありませんから、念による暴力が横行します。
幽体の体は、引きちぎられても死なずにすぐに戻りますから、一度、念による喧嘩が始まると、どちらかが飽きない限り続くようです。
下の階層に行くほど、もっと暴力的で残虐な霊魂が多くなってくるようです。
地上で報じられる、耳を覆いたくなるようなニュースを見れば、そこでどういう抗争が繰り広げられているか、想像が付きます。
一方、上の階層で、神霊のために働こうという霊魂達は、忙しく働いておられるようです。
霊力を付けるための修行もしなければなりません。
そういう意味で、あの世はどこに行っても、非常にビビッドな世界のようです。
ちなみに、下の世界ではないものの、上でもない階層で、神霊のために働こうなんて気のない霊魂達は、どうやって暇を潰そうかと、非常に退屈しているようです。
でも、そこだけ「死んだような世界」になっているわけではありませんから、退屈で困りながらも、ビビッドに暮らしているようです。
ともかく、下の世界のビビッドさだけは避けたいですね。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。