死後の世界を真剣に考える
身内が亡くなるというのは、悲しい出来事ですね。
現代は、写真もあれば動画もありますから、これらを見て故人を偲ぶ事はできますが、やはり物理的にその人の身体が消えてしまっているという現実は、辛いものです。
でも、この世からあの世に移動しただけで、存在そのものは消滅していないとしたら、どうでしょうか?
写真等を見て、その人の生前の姿を思い浮かべるよりも、死後の世界でどうしているかという事の方が、感心事になって来ないでしょうか?
過去は変わりませんから、故人の生前の姿を思い浮かべても、過去の出来事が変わる事はありません。
でも、現在も存在しているとなると、故人の置かれている状況は現在進行形です。置かれている状況次第で、故人は幸にも不幸にもなります。
そうすると、今、身内はどういう世界で何をしているだろうか?辛い目に遭っていないだろうか?等と、心配になって来ませんか?
この点、善人は良い世界へ行き、悪人は悪い世界に行くので、自分やその身内は良い世界に行くはずと信じている方も大勢おられるようです。
しかし、善い・悪いは地上の概念であり、しかも国や時代によって変化します。
文化や宗教によっても違いがあり、例えば、牛を食べてはならないという所もあれば、豚を食べてはならないという所もあり、戒律もバラバラです。
霊的世界の法則は、国や時代を超えて一律なはずであるところ、このようにバラバラでは、何が善で何が悪なのか分かりません。
これに対し、魂は存在せず、肉体の脳が消滅すれば無になるとの考え方からすれば、人の死は絶対的なものとなります。
私には、何故、魂はないと言い切れるのか不思議ですが、それが一択の答えでしかないと言う方には、私がいくら霊的世界の話をしたところで、「脳内の空想」と思われて終わってしまいます。
でも、少しでも霊的世界が存在する可能性を考える方には、もっと、霊的世界を具体的に考えて頂きたいものです。
「そういう世界もあるかもしれない。」だけでなく、「じゃあ、どうなっているのか?どういう法則があり、どういう人がどういう世界に行くのか?」という疑問を持っていくと、「自分は大丈夫」なんて安心してはいられないかもしれませんね。
私達も、いずれ行く世界ですので、もっと真剣に考えても良いと思います。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。