信じる?信じない?
「信じる」と「信じない」
その、得体の知れない、物的証拠も確証もない、それでいて強く熱く自身を支えているもの。
「信じる」と「信じない」。その強さは、どちらにも傾かない天秤のように感じることがある。
なぜそれを、そんなに強く信じられるの? と問われたら、
なぜそれを、そんなに強く信じられないの? と問い返したい。
もし、人間に霊的な部分があって、それが科学の力では証明できなくて、他界するまで見ることも感じることもできないとしても、
事実は、あるかないかのどちらかひとつ。
そういう事について、
同じような肉体を持った人間が、なぜそこまで両極端に、「信じる」と「信じない」に分かれることがあるのだろう?
そんなことを考えていると、終わりのないパズルのピースを探しているような気持ちになる。
信じる人は、証明されていないものを「ある」と確信する力を持っていて、
信じない人は、証明されるまでは「ない」と言い切る力を持っている。
そこに、霊的な影響力ってあるんだろうか。
何らかの霊的な力が、「信じる」と「信じない」に影響しているのだろうか。
人間って摩訶不思議な生命体だ。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。