イエスさまとお釈迦さまはともだちだ!(懺悔)
“宗教や宗派の違いが争いにつながるのはおかしい、偽善だ! 宗教の教えが、世界を平和に導いたり、人々の暮らしをよりよくするためのものなのだったら、イエス・キリストと、お釈迦様は、友達のはず。”
十代のころは、そんな風に考えていました。そんな反抗期から何年もの時が過ぎて考えが変わりました。
宗教って人間が作ったものなんだ。だから争うんだ。
世界中の争いの根源は宗教にある。 誰かがそう言うたびに、
“いや違う。それは、人間が作った宗教だからで、イエスさまやお釈迦さまは関係ない、神の名のもとに戦うなんて卑怯だ。”
な~んにも知らずに憎まれ口叩いていた私の懺悔です。
人間は、いつの時も身勝手で、傲慢で、身の程知らずです。
なんだかんだと、勝った気になっていたり、わかった気になっていたり、負けたと嘆いていたり怒っていたり。
もし人間が、心底から負けを認めて、罪を懺悔し、救いを求めるなら、その思いは、たくさんの力を経て、イエスさまやお釈迦さまに届くのかもしれない。
天と地を遮る分厚い暗雲に、細い針を突き刺して、一筋の光を通し、その光を求めて人々が集まり、心底から祈るなら、救われるのかもしれない。
今、人間にできることは、それしかないんじゃないかなって思う。
クリスマスには、イエス・キリストを思い、お釈迦さまを思い、すべてのキリストと神霊を思い、そこに連なる霊魂方を思い、
魂の目覚めと救いを祈ります。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。