【感想】マイノリティーレポート、観ちゃいました(ネタばれ込み)
先日、おぼろげな記憶をたどって記事を書いてしまったので、やはり気になって、映画「マイノリティーレポート」を観ておくことにしました。今回は、ひとりの霊魂学徒目線からの感想文を記録します。
2時間25分という長さの上に、もう少しゆっくり喋ってくれ~と言いたくなるくらいセリフ量の多い映画。目を伏せたくなるシーンもいくつかあり、PG-13にしてはちょっときつくない?・・というのが正直なところです。(PG-13だと、13歳未満の子供でも、保護者が許可すれば観ることができます)
20年前に観た時の印象とは随分と違っていたし、まったく記憶に残っていなかった部分もかなりありました。
さて、そんな映画「マイノリティーレポート」、公開された2002年には数々の賞にノミネートされ話題を呼びましたが、その最大要素は、やはり舞台となった近未来のビジュアル、細かいところまで思考を凝らした予言的テクノロジーなど、スピルバーグ監督ならではの見せ場が盛りだくさんだったところだ、というのが感想です。
異常な環境に置かれ、犯罪を予知する、というか、間もなく起こる犯罪を現実の映像として映し出す任務を課されている3名のサイキックについては、かなり飛躍していると思います。
けれども、特殊能力を持つサイキックたちが、実は非人道的な科学実験がもたらしたミスに起因するものだという設定にしたことで、本来、人間がそういった能力を持つことはないし、持ってはならない、というメッセージを発しているとも受け取られます。
タイトルにもなっている「マイノリティーレポート」ですが、先日の記事では、サイキックが予知する案件の中で少数派意見となるもの、という風に書きました。
確かにそうなのですが、これは映画の中ではメインともいえるテーマなので、少し掘り下げてみようと思います。
3名の中で最も優れた能力の持ち主で、リーダー的存在でもあるアガサという女性が、時々他の2名とは違う予知映像を察知するのですが、その映像がマイノリティーレポート、少数派意見と呼ばれています。
映像の内容が別れてしまうと、サイキックの予知能力の正確性が疑問視される要因となることから、マイノリティーレポートは、発生時に自動削除されるようにプログラムされていて、誰の目にも触れることはありません。
けれども、マイノリティーレポートが存在するということ自体、未来に選択肢があることを裏付けるものであり、犯罪未然防止というプロジェクトに致命的な欠陥があることを証明することにもなります。
このマイノリティーレポートの存在を知った主人公のジョン・アンダートンが、自身に課された未来殺人罪の嫌疑を晴らすために奔走します。
この映画のテーマは、自由意志をめぐる典型的な哲学論争、過剰なメディアによるプライバシーの侵害、そして自分自身の正体を知る、といったことだと評論されていますが、
観終わっていちばん印象に残っているのは、
「人は自由意志によって未来を変えることができる」ということです。
映画の中で、アガサが何度も「You have a choice. You can choose. 選択肢がある」とつぶやきます。
懇願したり無理強いしたりするのではなく、本人の自由意志による選択肢があることを伝えようとするところは、霊魂学的に考えると、守護霊の言葉と解釈できるような気もします。
映画の終盤では、ふたりの主要人物が、予告に反して殺人を思いとどまりました。自由意志による選択です。未来がひとつではないことが証明され、プロジェクトは廃止、3名のサイキックは解放され、殺人未遂として禁固されていた大勢の人々は釈放・保護観察となりました。
テクノロジーによって人間の運命を操作しようとする試み、そしてそれが可能であるとする思い込みが、人類をさらなる不幸へと推し進めるのかもしれません。
この世のあらゆる苦悩は、人が物質の世界にいるがゆえの欲から発生するものです。たとえ正義や平和や愛を願う心からくるものであっても、それは霊的生命体の成長とは逆方向を向いているのかもしれない、それに気づくのは容易なことではないのでしょう。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。