霊魂や死後の世界の探求は、思想ではなく事実の問題です
霊魂や死後の世界があるかどうかは、科学と同じで、本来、客観的に研究すべきテーマです。
私達が住む銀河系宇宙の中に、地球人が住めるような惑星があるのか否かを探るのと同様、あるのか無いのか、そのいずれかを探るものだからです。正しい答えは一つのみです。
それ故、霊魂が存在するとしたら、これを否定する人は間違いですし、死後の世界があるとしたら、「魂はあるが、すぐに生まれ変わるので死後の世界はない。」という人も、間違いという事になります。
そして、科学の世界では、ある説が事実であれば、他の説は消えていくのが当然ですから、同様に、霊的分野においても、ある説が正しければ、他の説は否定される事になるはずです。
ところが、霊的分野の現実は違うようです。
他説を批判すると、「寛大さがない。」とか、「他の人の説を批判せずに、仲良くすべきだ。」などと主張する人達がいるからです。
どうやら、宗教的な思想と、事実の問題とを混同しているようです。
事実とは何かという問題は、宗教的な善悪や道徳と同じ次元ではありません。宗教的な教えがどんなに立派で、どんなに深淵であったとしても、それは思想の問題であり、事実の有無の主張とは別なのです。
素晴らしい宗教教義であれば、そこで説かれる霊魂や死後の世界の主張も、全て正しいというわけではありません。
霊魂にしか分からない事は、霊魂に聞くのが一番であり、霊魂や死後の世界の存在については、霊媒が直接霊魂から聞いて伝えるしかないと思われます。
生きている人間が、肉体の頭を駆使していろいろ想像しても、単なる空想の域を出ないからです。
もっとも、このようにして霊魂や死後の世界を研究し、その存在に確信を持ったとしても、科学的な根拠を示せません。
そのため、結局は、霊魂の研究結果を受け入れる事は、信仰の分野になってしまいます。
しかし、結果的に宗教の分野に位置づけられるとしても、研究対象は事実の有無ですから、どうしたらより良い人生を送れるか等、生き方についての宗教上の教えとは別になります。
人生をどう生きるかについては、たくさんの考え方がありますが、霊的な真実は一つのみなのです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。