献金して天国へ……んなわけない!
天国に行きたければ、教義に従った善い行いや、献金をしなければならない、さもなければ地獄に落ちるとい教えもあるようです。
しかし、よく考えると、生前の行動であの世の行き先が決まるというのは、おかしくないですか?
仮に、生前に善い行いを続けていたとして、その記録はどこに蓄積されるのでしょうか? その人の脳でしょうか?
他界して体が消滅すれば、肉体の脳は消えます。そして、今度は幽体の体で生きる事になり、生前の記憶は幽体の脳に引き継がれます。
でも、生前の善行を並び立て、「私はたくさんの善い行いをしたのだ!」と主張したところで、その記録が他に客観的に保存されていない限り、主観的な想い出に止まります。
では、善行を記録する客観的な仕組みはあるのでしょうか?
例えば、あの世のどこかの場所に巨大な記録装置があり、その記録に従って天国行きかどうか判断される等です。
でも今度は、その記録を誰がどう審判するのかが問題となります。
神様が全てを記録し、神様の権限によって行き先を決めるのでしょうか?
そうだとしたら、神様は、どういう行動なら良しとし、どういう行動なら駄目とするのでしょうか?
この点、ある宗教では、豚を食べてはならないとし、別の宗教では牛は食べないようです。また、ある宗教では一夫一婦制であり、不貞は罪となりますが、別の宗教では複数の奥さんを持つ事を許しています。
他にも、いろいろ宗教別、宗派別に戒律があるようです。すなわち、宗教によって戒律が定められ、それに従った生活が天国への道になっているようですが、あまりにもバラバラです。
どれか1つが本当に神様の定めた基準だとすれば、これと異なる戒律は全て間違いという事になります。
ましてや、献金すればする程天国に近づくなんて教えは、どう見ても神様とは無関係です。神様はお金を必要としませんからね。
献金イコール天国への道とする高度な理屈があるようですが、現実にお金を必要としているのは、人間達でしょう。
この世に引力があり、運が悪ければ、善人にも悪人にもカラスの糞が落ちるように、あの世にも万人に共通な法則があります。
それは、幽体の性質によって、必要とする栄養(幽気)の質も異なり、その幽体にとって住みやすい幽気が存在する場所に行くという法則です。
従って、幽体の状態そのものが決め手であり、生前に行った善行や献金の記録で、あの世のどこへ行くかが決まるものではないようです。
どの人も、いや霊魂も、この法則から外れることは出来ないようです。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。