「勝ち組」と呼ばれる人達の死後
社会的・経済的に成功し、人生の競争で、望んだ地位や財産を得た者は、「勝ち組」と呼ばれているようです。
「勝ち組」とは、いわゆる格差社会において、裕福であったり、地位が高かったり、容姿端麗であったり等、人よりも優位な立場に立っている状況を指すようです。
これに対し、そういう状況にない人は、「負け組」と呼ばれているようです。
自分の人生に満足している人からすれば、そういった区別はナンセンスですし、人から自分の人生を勝手に、「負け組」などとレッテル貼りされるのも、「冗談じゃない!」と思うでしょう。でも、他人と比較の上での優越感に喜びを感じる人もいますし、それをうらやむ人がいる事も事実です。
ミス○○コンテストなどは、若い女性の容姿に順番を付けるわけですが、多様性を謳う現代でも、今のところ、大きな反発は聞かれません。
美しい人を美しいと感じるのは自然な事ですが、審査員が評価して順位を決めるのは不思議な事です。人を並べてショー化し、序列を付ける需要と、それに対する本人の承認欲や人々の支持があるのでしょう。
でも、いくら他人の人生には関心がないと自負している人でも、現代人である以上、小さい頃からずっと競争社会の中で他人と競っています。世の中の価値基準やその序列に基づき、優位な立場にいる人に一目おく事に慣れていますから、ここから完全に脱するのは、なかなか難しいのではないでしょうか。
自分でも気づかないうちに、世の中に流れる価値観が浸透しているかもしれません。
さて、そういった「勝ち組」と呼ばれる人達は、他界後はどうなるでしょうか?
もちろん、生前のような優越的な地位は、死後には通用しません。
この世でどんなにお金を稼いでいた人でも、あの世では誰もチヤホヤしてくれません。それどころか、成功して富や名声を得た事や、競争を勝ち抜いた過程で、他人の怨みや嫉みの念をタップリ浴びていますから、肉体と重なっていた幽質の体(幽体)は、傷だらけになっている可能性があります。
それを修復せずに他界すれば、待っているのは、それに相応しい幽気の存在する世界です。つまり、下の方の世界です。
生き方は自由であり、合法的にたくさんお金を稼ぐのも、その人の自由です。ですが、他界後の事を考えずに、この世で優越感を感じる事だけに夢中になっていると、永遠とも言える時間を辛い環境で過ごすことになります。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。