契山館の会員にはヒエラルキーがありません
多くの宗教団体では、会員の間に地位の差があるようです。
中には、寄付の額で地位が上がっていき、それによって階層が出来ていくという所もあるようです。
この点、契山館には、そういった会員のヒエラルキーはありません。
そもそも契山館では寄付を要求されないので、寄付額で会員に上下の差がつく事はありえませんし、自発的に多額の寄付をした会員がいたとしても、それで他の会員よりも優遇される事はありません。
先輩に対しては、社会一般の礼儀を尽くすのは当然であり、その知識と経験も尊重されるべきですが、霊的な面から見ると、先輩が必ず後輩よりも成長しているとは限りません。
入会して間もない会員と、長年修行を積んだ会員では、さすがに霊的な成長度合いは違うと思いますが、会員歴の長短で成長度合いを推測できるものではないようです。
それ故、契山館の会員間で、会員歴によってヒエラルキーが作られる事もありません。
ただ、講習会や合宿等があると、その時に役割を与えられた人が、一定の役割を果たします。
この場合、その役割を担った会員は、いわば地上の師である水波一郎先生の代行者ですから、他の会員は、素直に指示に従う必要があります。
自分よりも後輩だとか、年下だという理由でバカにしてはならないと、先生から厳しく諫められています。
そういう態度は、すぐに守護霊や指導霊らの高級霊魂に伝わってしまうようです。
また、自惚れたり傲慢になったりする事も、水波先生から厳しく諫められています。そういう状態になると、高級霊魂からの力も入らないようです。
私達会員は、未熟者の集まりですし、人格者になるために修行を積んでいるわけもありませんが、霊的成長の妨げになる「自惚れ」という状態には陥らないよう、自分の心を見つめるようにしています。
以上のとおり、会員の間にはヒエラルキーのようなものはありませんが、師と会員が対等であるはずがない事はもちろんであり、師は師です。
私は、契山館に入る前、パキスタンのラホール博物館にある「釈迦苦行像」の写真を見て、感動した事がありました(お釈迦様が苦行された話は有名ですので、その時のお姿は、まさにこの苦行像のようだったと思われます。)。
こんな骨と皮の姿になるまで、真実を追究し、神仏を求めたお釈迦様に対し、深い畏敬の念を抱きました。ここが、凡人とお釈迦様の違いなのだと思いました。
しかし、現代にも、真剣に霊的な真実を追究し、神霊のためなら命をも捨てても良いとの覚悟で、霊的活動をしておられる方がいらっしゃいました。
それが、契山館の主催者である水波一郎先生です。
先生は、まさに、私達人類の信仰の道しるべであり、お手本です。
詳しくは、以下の動画をご覧下さい。
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。