幽体離脱という現象を今いちど真面目に考えてみよう
目次
幽体離脱っていったい何が起こっているのでしょう
今なお検索数の多い「幽体離脱」。
霊魂学では、幽体離脱は、絶対に試みてはいけませんと、何度も忠告されていますが、まだまだ興味のある方が多いようなので、再度、幽体離脱について考えてみました。
私達は、肉体を持って生きています。奇跡のような込み入った仕組みである肉体ですが、同時に、私たちは、目に見えない、霊的な身体「幽体」も持っています。そして、本当の自分の姿は、肉体ではなく、幽体だと考えていいと思います。肉体はいわば、この世を生きるために、一時的に使っている体だと言えます。
幽体と肉体は、「間気・かんき」と呼ばれる接着剤の役目をするものでぴったりとくっついて離れないようにできています。この世で生きている間だけ、肉体と幽体が外れてしまわないように、くっつけられているのです。
そして、幽体が肉体から、完全に離れてしまって二度と戻ることができなくなった状態が、肉体の「死」ということになります。
幽体が肉体から離脱する 完全に離れてもう戻らない 完全幽体離脱=肉体の死 です。
人は他界すると、ひとり残らず、幽体離脱をして、次の次元に旅立っていきます。
そういう意味で、幽体離脱は何ら珍しいことでも特別なことでもありません。全員がいつか体験します。
でもそれは、肉体の「死」の時です。
中途半端な幽体離脱はやめて!!(幽体の声)
まだ死んでもいなければ、死ぬ時でもないのに、幽体を肉体からズラシたりハズシたりリダツさせたりしようと試みることは、
つまり、やっちゃいけないことをやっているということです。
幽体離脱=やっちゃいけないこと
ちょっとだけならいいじゃないって?
死後の世界を覗いてみたいんだも~んって?
霊魂学は、人の人生や個人の選択についてとやかく言うことはありません。が、霊的によくないことに関しては、はっきりと忠告しています。
幽体離脱は、ダメです!
だいいちに、もし幽体離脱という現象が起こったとして、死後の世界を見てきたという証言があったとしたら、それは勘違いです。
なぜなら、生きて証言しているということは、死んでいないからです。臨死体験で幽体離脱をして死後の世界を見てきたという主張も、たとえ心臓が一度停まったとか、脳の活動が停止していたとか、そういう医学的なデータが「死んでいたけど生き返った」と公言したとしても、それは、本当の死ではありません。肉体だけを見れば一時的に死んでいたのかもしれませんが、肉体をまとった霊的生命体としては、死んではいなかったのです。だから、意識を取り戻して話しているのです。
死んだように見えても実は死んでいなかった、そういう状態で見てきたという世界は、本当の死後の世界とはいえないのです。
医学が定義する肉体の死に加えて、幽体が完全に離脱して、二度と肉体に戻ることができなくなった状態、それが本当の「死」、です。霊的な現象を語るのに、現代医学の定義だけを使うのは間違っています。医学の「死」と霊的な「死」は違うのです。
軽く考えてはいけない幽体離脱の危険性ーあなたはそれでも離脱したい?
完全幽体離脱という「死」を経て、肉体を捨て、幽体のみで活動する霊魂となり、霊的世界へと旅立つのは自然なことです。
でも、中途半端に離脱を試みて、万一本当に少しでも幽体が肉体から外れた感じになってしまったとしたら、どうなると思いますか?
「隠れ蓑・かくれみの」のような役目をしていた肉体からずれてしまった幽体の部分と、はがされてしまった「間気・接着剤」は、この世をうろつく大勢の霊魂達、「好奇心満々」「いたずらする気満々」「人の幽体で遊んでみたい興味深々」、そんな霊魂達に丸見えになってしまうということです。
もぐらたたきのモグラが頭を出したようなものです。
やられます・・・。
幽体はデリケートです。普段から鍛えていない人の幽体はすぐに傷つきます。そして回復力も弱い。
しかも、しかも、誰も、張本人も、やられていることに気が付かないのです。
幽体離脱は、ダメです!
何ひとつ、いいことはありません。
もっと詳しく説明されている動画があります、ぜひご覧ください。
幽体離脱者は地獄に入る?
臨死体験は死後を見ていない
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。