救いの定義
「救い」という言葉を検索すると、キリスト教による「救い」の説明が多く見られます。
聖書にある、イエス・キリストの言葉に裏付けされた「救い」の定義は、「信じる」ということ。イエス・キリストを救い主だと信じ受け入れることで罪を許され、永遠の命を得、他界後は天国に迎えられる、という教えです。
「救い」という言葉を辞書などで調べると、「人に安堵感を与えること、慰め、救済」といった説明もあります。
普段、仕事や人間関係、趣味などに「救い効果」がある場合、人はそれ以上のことを求めようとはしないのかもしれません。
実際に、自分ではどうにもできず「救ってください」と他者に訴えることは、そうそうありません。救いを求めるのは弱虫だとか、自分のことを自分でなんとかできないのは負け組だとか、そう思わせる社会なのかもしれません。なんとも理不尽な世の中です。
イエス師は、信じて受け入れることだけで救われると説かれ、その時代、それは事実だったのだと思います。
けれども、2千年ほども過ぎた今、あの頃の地上の霊的環境と、現代の霊的環境は、比べ物にならないであろうことは容易に想像できます。空気の質、水の質、土壌の質、それらを比べても一目瞭然です。霊的環境が変化していないわけがないのです。
信じて受け入れることは当然必要だけれども、今は、それだけで救われることが困難な時代になってしまいました。
私たちに必要なのは、強い人にも弱い人にも、勝ち組と言われる人にも負け組と言われる人にも、一人残らずすべての人に霊的な救いが必要であることを知り、そのために行動することです。それは、信じるだけでなく、祈るだけでなく、実際に、具体的に、救いの方法を知り実践することです。
現代は霊的に穢れた時代です。そして、イエス師をはじめ、キリストと呼ばれる方々は、多くの霊魂団を率いて人類の救済に尽力されています。
今、もし目の前にキリストが現れたら、人々にどのように話されるのでしょうか。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。