警告すると「脅迫」、警告しないと「人でなし」と言われます
例えば、輝く頂上を目指して、登山愛好者達が道を登っていたとします。
そして、登り口の標識には、2つのコースが示されています。
Aコースは、「周りに花が咲き、木漏れ日が溢れる美しい景色を見ながら登れます。」と書いてありました。
Bコースは、「険しく、困難な道ですが、確実に頂上に着きます。」と書いてありました。
この標識を見て、登山愛好者達は皆、Aコースを選んで登って行きました。
しかし、あなたは知っていました。
Aコースの標識は嘘であり、山の頂上の手前には落とし穴があって、山の頂上には行けません。
Bコースは、大変だけれども、途中で横道にそれずに登っていけば、確実に頂上に到達します。
さて、あなたは、登山愛好者達に、「Aコースを選んではダメだ。落とし穴があって、頂上には到達しない。」と警告するでしょうか?
それとも、黙っているでしょうか?
警告すると、「何をバカな事を言っている。私達を脅迫するのか?」と非難を浴びるかもしれません。
一方、皆、落とし穴に落ちていくのを見ながら、「やっぱり落ちてしまったか。」とつぶやけば、「知っているのに、何故その事を伝えなかったのか!人でなし!」等と非難を浴びます。
いずれにしても、割が合いませんよね。
それ故、落とし穴を知っていた事は黙り続け、自分はBコースを選んで、ちゃっかりと山頂に到達する、という方法もあります。
非難をかわすとすれば、それが一番です。
でも、良心があれば、後ろめたいですよね。
人類は、不都合な真実を説く人には石を投げ、目を背けてきた歴史があります。
今でも、楽で、自分に都合の良い道を選びがちです。
そして、その道に対し、「このまま突き進めば落とし穴に落ちる。」と警告すると、脅迫と捉える方もおられると思います。
この点、例えば巨大地震到来の警告なら、科学的な根拠がありますし、知識も一般市民に浸透していますから、これを脅迫と捉える人はほとんどいないと思われます。
しかし、科学で立証できない分野においては、必死に呼びかければ呼びかけるほど、疎まれるかもしれません。
それでも、私は言わずにはいられません。
「心を磨いたり、善行を施せば天国に行くというのは嘘です。いくら自分を美化して自己満足していても、肉体と重なっている幽体が不健全である限り、下の世界に行くことになります。」
(注)この記事は、私(ドーン)の理解の範囲内で書いており、契山館の公式見解を掲載したものではありません。