「日本沈没」に垣間見る人々の信じる力と真実を求める勇気
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秋の新番組「日本沈没 – 希望のひと -」が面白くなっていく
秋の新番組が続々と始まりましたね。
最近は、世間の話題や傾向をもっと知りたくて、TVドラマも気になるものを観るようになりました。
「日本沈没 – 希望のひと – 」は、その中でも興味のある作品です。
原作は1973年に刊行された小松左京(こまつさきょう)氏のSF小説「日本沈没」。
当時、小説が版を重ねてベストセラーとなり、小松氏は日本におけるSFブームの火つけ人とも呼ばれたそうです。
「日本沈没」という言葉を見聞きしたことは何度もあったと思うのですが、内容については、まったく知らなかったので、
そのタイトルを見たときも、日本の政治経済が沈没する・・タイプのドラマだと思っていました。
ところがストーリーは、まさに日本が地殻変動によって海に沈んでいくという「説」をめぐる壮大なドラマなんですね。
過去に何度も、映画化やドラマ化がされてきた作品ですが、2021年版では、原作にかなりのアレンジが加えられているそうです。1973年に公開された当初にはSFだったストーリーも、40年ほどの時を経て、不気味な現実味を帯びてきました。
この番組は、Netflixという配信サービスで、全世界にもほぼ同時公開されています。
世界中の視聴者が、この番組を観てどう感じるのかも、興味深いところです。
真実を求めるってどういうことなんだ?
このドラマは問いかけてきます。
計り知れない重圧とリスクを負う人間が、現実と真実のはざまで、何を認め、何を信じ、そして何をするべきと判断するのか、そして個である自分自身の意志と選択がもたらす結果にどう立ち向かうのか。
関東沈没説を唱えているのは、目の上のたんこぶ的な異端児天才博士。
博士の突拍子もない説を端から相手にもしない政治家たち。
そして、いざ信憑性のある観測結果が出ると、すかさずデータを改ざんし、もみ消そうとする権力者。
そんな中で、環境省の官僚という立場にある主人公の天海さんは、「関東沈没」説をめぐるあらゆる可能性を真摯に受け止め、その真偽を明らかにしようと行動します。
仲間から、なぜそこまでこだわるのかと問われても、「真実を知りたいだけ」と答えます。
官僚としての立場や将来、家族や自身の行く末、そのようなものを棒に振ることになっても、真実を明らかにするために突き進むその姿は、頑固で、厄介で、バカだなこいつ・・・と思われることでしょう。
なぜなら、保身こそが人間の本能だからです。
自分がやらなくてもいざとなったら誰かがやるだろう、何も自分や家族を犠牲にしてまですることではない。
そのように見て見ぬふりをする人のことを誰も責めることはできません。
でも、人間の本能、社会の常識やしがらみ、そういったものを振り払ってでも「真実を求める」、そういう人がいるからこそ、希望という小さな灯が消えてしまうことがないのかもしれません。
ドラマの中では、そういう人がヒーローとなり、「希望のひと」と呼ばれます。
けれど現実は、そううまくはいかないものです。
真実を求めた人が、誰にも知られずに葬り去られることのほうが多いのではないでしょうか。
ドラマのような展開を期待するほどナイーブな心では、それこそ今の社会を生き延びるのは困難なのかもしれません。
そうやって人々は、ドラマの世界で熱くなってはみても、翌日には現実の世界を歩くのです。
霊的真実と霊的世界はいかなるドラマよりもドラマティックなのである!
ひたむきに真実を求める主人公の姿は、後に、おそらく未曾有の危機から国民を守るために奔走し、勇敢に現実と向き合う「希望のひと」として描かれ、視聴者に、ポジティブな未来を目指そうと訴えてくるのであろうことは想像できます。
それでも、このシーズンが終わればドラマのことは忘れ去られ、希望は無謀と化し、現実こそが現実なんだと、人々は「常識ある社会人」として各々の暮らしに埋没していくことでしょう。
でも!
無謀なほどひたむきに真実を求める馬鹿げた人間が、あらゆるドラマを超越するドラマティックな「希望のひと」となる道があります。それが、霊的真実を求める人の道です。
この世で何と言われようと、どんな目に会おうと、霊的真実を求め、突き進んだ人は、人類の「希望のひと」となることでしょう。
人々が理想とし、夢に描く世界が現実となりうるのは、霊的次元においてのみなのかもしれません。
道は細くて険しくて、おそらく大多数の人は、その道の存在すら知らずにこの世を去っていくのでしょう。
もしかしたら、おぼろげにその道が見えていたのに、見て見ぬふりをしてしまったのかもしれません。
馬鹿みたいに夢を見る力、無謀なほどに真実を求める力、そして何があろうとぶれない確信を持ち続ける力、
それが霊的真実への道に出会う時、現実を生きる人々に奇跡が起こるといっても過言ではありません。
(注)この記事は、水波霊魂学で学んだことをもとに、私(さんば)の理解の範囲内で作成したものであり、契山館の公式見解を掲載したものではありません。